∴ black contract 20

続きです。

※※※

ウォルナットの艶やかな光沢に、鮮やかな黒インクのコントラスト
それだけでも随分な惨状だったが、被害は毛足の長い絨毯にまで及んでいる
主はインクを零したと言っていたか
ついでに言えば栓の開いた高価な洋酒、それすらも倒れ絨毯を汚してしまっている
加えて指輪の紛失―――

セバスチャンは改めて部屋の状況を見渡すと額に手を遣り
掃除の手筈を考えはしたが、拭いて落ちるようなものでも無く
―――先ずは、後回し―――
主に問い質す為に僅かに屈めた腰を音も立てずに伸ばすと
開きっぱなしの窓の外を一瞥した
冷気の地に主の気を引くようなものなど―――…

「……？。」

白い雪の表面に見える、夜の闇が織り成す濃紺の陰影
頑なに口を閉ざしている主を尻目に、セバスチャンは窓枠を掴んで身を乗り出した
雪混じりの風が頬に掛かる髪を激しく揺らし
糊の効いたシャツの袖口までも雪に埋めて
不自然に盛られた雪の箇所を、さくり、と掻いた

「…嗚呼、随分と意外な場所へ隠されたものですね。
お一人で宝探しでもなさるおつもりで？。」
「…五月蝿い。お前には関係無いだろう。」

主のにべも無い言葉は軽く交わし、拳に握った手を引き上げた
纏わり付いた雪は溶ける事も無く、微細な粒となって滑り落ちて行く
指の隙間から月光を受けた貴石が煌いた
それは雪を纏ってか益々妖しげな光を帯びて
それこそ「呪われた指輪」に相応しいものであろう
そしてこのファントムハイヴ伯爵が装着しているべき、高貴な装飾品に間違い無かった

「…ほら、こんなに冷えておいでだ。
霜焼けになっても知りませんよ？。」

セバスチャンは静かに窓を閉めると、それに因って吹き込む夜気が絶えた
胸元から取り出した布で指輪を拭い歪んでいないかを透かすように確かめる
凍て付く雪の中にどれだけ放置されていたのか
冷えた金属は、冷えた室内の空気にすら僅かに曇った
改めてそれを拭い、シエルの前に膝をつく
幼い手は血の気を失っているように冷たかった

咎めるようにそう言いつつも、氷に等しい温度のままの指輪を小さな指に嵌めていく
親指にすら余るその指輪は繊細は細工と言い、嵌め込まれた宝石といい極上の品ではあったが
セバスチャンにとって意味ある事は一つだけ
―――これが主のものである、その一点だけだった

「……。」

嵌め込まれた指輪からは別段飛び上がる程の冷たさは感じない
それ程自分の指先も冷えてしまっているのだと、シエルは何処か他人事のように思った
―――ああ、こうしてこの指輪は必ず自分の元へと帰ってくる
それこそが「呪い」なのかもしれない


「―――さて。」


憂いは晴れた、そんな態度も露にセバスチャンはいっそ晴れ晴れしい笑顔を向けると
何かの合図のように自身の手袋をきゅっと引いた
一仕事を始める、そんな風情で


「坊ちゃん、おいたをしたお仕置きをします。」

「！！。」


不穏な空気をひた隠し、不穏な宣告をさらりと吐く
そんなセバスチャンにシエルは瞬き、或いは身体を強張らせた
容易く逃がすまいとするセバスチャンの手が俊敏な動作で主の細い腕をしっかりと掴む


「ぼ、僕は何も悪い事などしてない！。」
「そうかもしれませんね。ですが坊ちゃんが何もお話してくれない以上
私は現状を見て判断するより他にありません。
今ならまだ間に合いますよ。坊ちゃんが素直にお話下さり反省されれば
私も鬼ではありません、減罰を考えましょう。」
「ふ、ふざけるな！。僕は簡単に反省などしない！。」
「でしょうね。私も坊ちゃんがそのような「いい子」だとは思っておりませんので。」


およそ主に向けるには相応しくない不遜な言葉の羅列
逃がさない、そんな意味を込めてか一度だけその細い手首をまるで愛撫するようになぞった
指先どころか背筋から身を凍らせているシエルに笑みを浮かべた顔を近付ける
その仮面じみた笑みを浮かべた唇は、薄く開かれていた

※※※
セバスは指輪が戻って一安心
一方ぼったんはガクブル