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「…弱りましたね。ご機嫌取りは苦手なんですが…。」
執務室を出て廊下を歩きながらセバスチャンは小さく息を吐きながら呟く
それでも主が退出するように命令したのだから、それに従わねばならない
主の傍を離れたとは言え、屋敷の一切を取り仕切る執事たる者
仕事はいくらでもある
ことに、社交辞令というものを毛嫌いする伯爵
挨拶状や招待状への返礼は社交期で無くとも大量に送付されてくる
丁重な断りの文句を書き連ねる一方で、時折ちらりと時計を見上げ
「…。」
時計の針は着実に進むが、主が鳴らすベルの音は聞こえて来ない
居眠りしてしまっていないだろうか…そんな心配が頭を過ぎる
手に取った一通の手紙
女王に縁の深い慈善団体のコンサートへの招待状
他のものは考えるまでもなく欠席だろうが
これは確認しても良いだろう
ガタ、と小さな音を立てて椅子から立ち上がったその時
「―――!?。」
そそっかしい家女中がまた何やらひっくり返したのだろうか
派手な物音に仕事を妨げられる
「…全く…。」
呆れに似た声が自然と漏れる
何故か今夜は妙な胸騒ぎがしていた
それがあの煌煌と輝くせいだとしたら―――
月を見上げてどれだけの時間を佇んでいたのだろうか
聞き逃しようも無い程の派手な音が響き
背後のドアへと視線を向ける
自分以外無人の室内であるが故だろうか、形の良い唇には
普段浮かべている笑みの欠片も無い
感情の篭らない視線が、僅かの間ドアを凝視して
「…嗚呼、いけない。もうこんな時間ですね。」
芝居の台詞のように、ひとつ呟く
「それらしくしていろ。」との、主の命令だ
唇に笑みが浮かぶと、それは苦笑めいたものであっても
舞台に立つ役者の衣装のような効果を備える
再び、執事の部屋よりやや離れた場所で相変わらずの家女中の騒ぎが聞こえてくると
作られたように深々と溜息を吐いた
「今度は何事です?。」
苛立ちと呆れを綯い交ぜにした声色を模倣して、廊下へと出る
主の夕食の時間はとうに過ぎているが
未だにベルが鳴らない事を、ちらりと意識した
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