※※※
「この後のご予定ですが。
ファントム社の会計報告に目を通して頂き―――」
改まった口調、淡々としたセバスチャンの声が流れる
今後のスケジュールを耳にしながら
シエルはレモンの香りと食欲をそそるサクサクのパイをフォークで器用に割り、口に運んでいた
黙々と食べるそのの様子も、普段と何の変わりも無い―――無いのだろう
元より、他人を褒めるような言葉を容易く口にする性質ではないシエル
『美味い』などと言う台詞は
客観的に物事を物語る時にしか出て来ない
「…食べ終わったら執務室へ行く。」
「かしこまりました。………坊ちゃん。」
「？。」
「…お口に合いませんか？。」
セバスチャンの作るものは何だって美味い
全てのメニューにアレンジを加え自分好みの味へと変えているのだから当然だった
しかし今だけは美味いはずのおやつは
酸味が口の神経を刺激するだけで、酷く色褪せたものに感じていた
そんなシエルの様子に違和感を感じたセバスチャンが
純粋に困惑を感じたが故の問だった
人の味覚は理解し難いが、どうすれば『美味い』と感じるものが出来上がるかは熟知している
セバスチャンは自分が作ったものには、それなりの自負があった
不味い筈ないのだが―――内心で首を傾げはしたものの
こればかりは主の答えを待つより他に無かった
「…別に、普通だが。」
「そう、ですか。」
自分の気のせい…取り越し苦労だろうか
セバスチャンはそう思いつつシエルが綺麗に平らげたデザート皿を引き、テーブルの上を整える
午後の予定とアフタヌーンティーまでが無事に…とも言えないが
一先ず済んだと言えるだろう
目を閉じて今後の予定に思考を巡らせている様はまさに『ファントムハイヴ伯爵』そのもの
其処には子供染みた意地も無く、自らの痛みすら他人事のように捨て去られているようで
右足の捻挫が忌々しいのか振り子のように揺れる足を見てセバスチャンが苦笑する
「その様になさっては、また痛みますよ。」
「…すぐに治るだろうか。」
「さぁ、どうでしょう。坊ちゃんが大人しくなさっていれば必然と。」
シエルは鼻を鳴らすとソファの背凭れに身体を預けた
ダンスなどさせておいて言う台詞か？と悪態を吐きつつ
無事な方の足を執事へと差し出す
その意を察したセバスチャンは無用な言葉を差し挟む事もなく
床に脱ぎ捨てられていたブーツを手に取り、主の前へと傅いた
「失礼致します―――。」
白い手袋に包まれた手が無傷の足に触れ、踵を支える
傍から見れば、これはどういう光景に映るのだろうか。
―――倒錯的、屈辱的、或いは官能的？
元より見守る目もない室内、丁寧な動作でソックスの皺を伸ばして行く
ごそっと重い音を立てて、革のブーツが左足を包み込む
跪いた自分の脚に頓着もなくブーツの踵を置いて前面を編み上げる紐を結わえていく
面伏せた姿勢では主の視線がどのような色を宿しているかなど、知る由も無い
紐を結び終える直前になって一房垂れた黒髪が、微かに主の膝を擽る
それだけが謂わば例外的な干渉とでも呼ぶべきものだった
きちんと紐を結んでしまえば、そこは手馴れたもの
ブーツは些かの歪みもな緩みも無く、ぴったりと足に沿う
もう一方の足に目を向け、問うように上げた視線が、漸く主のそれと交わった
「…そっちはいい。当分履けないだろう。」
執事を軽く制しソファから重い腰を上げると
跪いたままの執事との距離が必然的に近くなる
そして此処に来てやっと気付いた
執事から立ち込めていた例の『気配』―――麝香の香りが消えていることに
実に執事らしく、主に指摘されればそれをすぐに改善した
それは褒めるべき所なのだろうが、その事によって再び自分の頭の中に
昨夜の執事と娼婦の戯れを呼び起こさせる…罪深いまでに
この執事は、そんな事知る由も無いだろうが。
※※※
ブーツを履かせる、という完全服従の画を書きたかったのです
主従関係ばんざい！！
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